まさかの…子宮内膜症。
昨日、婦人科の内診台の上で叫んできました。
女性ならわかるはず、お股の内診。
指やら機械やら突っ込まれたり、お腹押されるやつです。
医:ここ痛い?
私:いや、そこは痛くないです…
医:ここは?
私:いや、そこも特に…
医:ここも痛くないね?
私:はい、大丈夫です。
医:ここは?
私:いぃっだぁーいぃ!!!
医:だよねぇ、痛いよねぇ、ここだねぇ。
私:…。(内診台の上で上半身右側によじれて放心。)
痛いわ。
安心した頃の4発目で急所(子宮内膜症)押すな。
痛いわ。
診察だからしょうがないってわかってるけどもう次から恐怖で今から身がすくむわ。
次の診察は自分から「痛いとこ押しますか?」って聞くわ。忘れなければ。怖いわ。
ってな感じで、昨日、子宮内膜症が発覚しました。
生理痛はずっとあって、でもそんなの毎回程度も違うし、人とは比べようもないしって放置してました。
思い返すと、高校生の頃には激痛とお腹ぴーぴーで授業受けてられなくてトイレに駆け込み、保健の先生の前で右へ左へとお腹押さえてウロウロしてないと耐えられないくらいだった。
保健の先生は「そんな短いスカート履いてるからよ。」と言ってた。
ど田舎の高校では、整容検査に備えてスカートの長さは校則通り。
普段は、ウエスト折って長さを調節するのが一般的で…私は膝上10〜15センチくらいだったかなぁ。
大学生の頃は、激痛すぎて起き上がれずバイトを休んだり、出血量が異常だった。
チャリで帰宅中おまたに冷たさを感じて、家着いてチャリ降りたらサドル血まみれ、ジーンズ血まみれ。
昼1〜2時間が昼用ナプキンではもたないし、朝起きたら夜用ナプキンが端から端までびっしり重さずっしり出血してたこともあった。
この時、病院行ってたらよかったのかもしれないけど、当時の私は「おかしいな。」と思いつつも「若いからか?」とか思って放置。
社会人になってからは、生理になると吐き気がしたり変に快便になることが増えた。
痛みもあった。
吐き気はしても食べられるし、元々便秘の私にとって月に1回の快便は「デトックス♪」くらいの感覚だった。
痛みなんて当たり前になってた。
そしてここ1〜2年。長くても3年だと思う。
生理になると、腹痛だけじゃなく肛門に痛みを感じるようになった。
う○こをすると、「いたいーいたいー」と声に出てしまう痛さ。
生理になると腹痛がしたり頭痛がしたり、痛みは常にあったから生理痛の一種だと思ってた。
吐き気やら不調があるのは当たり前だと思ってた。
でも、今回の生理で今までにない排便痛があって「おかしい…?」と思ってググった。
そしたら、子宮内膜症の症状にあてはまった。
今は、ネットでいろいろな病気ぐ調べられる分、無駄に心配を煽ってるような気もして「どうなのよ?」と思ってた。
今までは、「まさか…」と思って病院に行っても「異常ありません」って言われてただの取り越し苦労だったから今回もそうだと思ってた。
そしたら、今回は違った。
医師から説明を聞いている間はどうってことなかったこど、会計が終わって領収書や財布をバックにしまっていたら涙が出てきた。
全てが腑に落ちた。
生理中の腹痛、吐き気、出血量、レバー状の塊。
妊娠しない…。
子宮内膜症だからといって妊娠できないわけじゃない。
でも、子宮内膜症だと妊娠しにくかったり、不妊の人には子宮内膜症があるケースが多いという。
原因は私だったんだ…。
最近は、子供がいない人生ってのを改めて考えていて。
元々私は子供が嫌いで、どうしてもほしいってわけじゃなかった。
ただ、子供って当たり前にできるものだと思ってたし、結婚したら子供を産んで当たり前みたいな風潮の圧みたいなのを勝手に感じていたり、周りの友達がどんどん出産していくのを見て自分だけ違う、置いてけぼりみたいな気がして、「子供はいた方がいい」っていう変な価値観に縛られてた部分があった。
老後とか心配だったしね…。
でも、何年か前に夫と話して
•妊娠は結果論
•いたらいたでいいし、いなきゃいないでいい
•痛い、恥ずかしい、大変な不妊治療までしなくていい
•子どもはいたらいたで大変
っていうことでまとまりつつも、どこかでひっかかってた。
でも、夫とは一回り以上歳が離れていて、私は今年37になる。
仕事もやめたし、フルタイムで働く予定はない。
今から子供を望んだところで、十分な教育資金や老後資金を用意できるかわからない。
必然的に今のままの生活はできないし、自分たちにかけているお金を削って子供や貯金に回さなきゃいけなくなる。
睡眠妨害されるのも嫌だし、1日中お母さんと一緒の録画を見てるなんて嫌だし、テレビを奪われるのも、全て子ども目線で対応しなきゃいけないのもめんどくさい。
ここまで来ると私は母性とかなんかが欠落してるんだろうと思うけど。
考えても仕方ないことだけど、無計画ではいられない話で…。
正直なところ、今の夫婦2人のちょっと余裕のある生活は悪くなくて、今から子供ができてガチャガチャした生活をすると考えると「それはちょっと遠慮したいかな…」と思ってて、子供のために必死こいて自分すり減らしながら働くとか無理…。
そんな感じでトータルで考えて、私たちは現実的に考えて夫婦2人がいいと思ってた。
でも、実際に、子宮内膜症という形あるものをつきつけられ、子どもは本当に無理かも知れないと知ると虚しさとか悲しさとか辛さとかなんとも言えない気持ちに襲われる。
夫が顔をしかめながら言った「子供はいたらいたで大変だって!」という言葉に救われつつ、「できたらできたで産んでもいいと思ってるんでしょ?」というちょっとはずんた声で発していた言葉に申し訳なくなる。
夫も多分子供がいない人生というのは想定していなかった。
子供の頃に高熱を出したことがあるから子供ができるかわからないと嘘かホントか迷信かのようなことを言いながらも、甥や姪にお年玉をあげる時は「うちもどうせもらうようになるんだから。」と言っていた。
今回の子宮内膜症については、「(妊娠はおいといて)まずは病気を治すことでしょ。」と言っていたけど本当はどう思っているんだろう。
聞けなかった。
こんな時はどうしても悪い方に考えてしまう。
絶望していないだろうか…。
親には子宮内膜症のことは伝えるつもりはない。
心配をかけたくないし、間違っても自分を責めるようなことは思ってほしくないから。
これは私の体の話だから、できるところまで自分(たち)の中に留めておく。
ただ、こんなポンコツな人間で申し訳なくて涙が出る。
私の体に何か大ごとが起きるなら、それは親が亡くなった後にしてほしい。
今までどれだけ心配をかけてきたか…もう、これ以上心配はかけたくない。
私は、なんのために存在してるんだろう。
改めて、思う。