不妊治療はしない。不妊検査もしない。
こんにちは、お久しぶりです。
2週間ほどブログから遠ざかっていました。
なかなか濃いというか、1つの決断をした2週間でした。
タイトルの通り『不妊』に関することです。
この記事を書くにあたり、不妊治療そのものや不妊治療をしている人、していた人を否定したり批判する意図は一切ありません。
あくまでも私自身が不妊外来に足を踏み入れてみて思った、「他の誰でもなく、私自身が不妊治療をする」ということについて個人的な気持ちや考えを書いています。
不妊治療をしている人の人のブログはたくさんあります。
不妊治療を諦めざるをえなかった人のブログもあります。
でも、不妊治療をしないと決めた人のブログは見つかりませんでした。
だから、私はなぜ「不妊治療はしない。不妊検査もしない。」という決断に至ったかを書こうと思いました。
- 不妊外来に行こうと思った理由
- クリニックと不妊外来
- 不妊外来の初診・・・まさかの拒絶反応
- 不妊検査、不妊治療に直面して思ったこと
- 夫婦の気持ちの確認
- 『子どもはいて普通』そんな空気が辛い
- 不妊治療も保険適用とかタダにしてほしいと思ったけど
- 「不妊治療はしない。不妊検査もしない。」と決めて見えたもの
不妊外来に行こうと思った理由
4年ほど前、「そろそろ子どもを・・・」と思ったことがありました。
でも、1年経っても妊娠することはなく、人工授精まで行っているクリニックに通い始めました。
タイミング法を1年ほど試すも妊娠することはありませんでした。
不妊に関する全ての検査を受けたわけではなかったものの、当時受けた検査では私もダンナも問題なし。(エコー、血液検査、精液検査。)
医師も「なんでだろうね?妊娠してもおかしくないんだけどな。」と。
「次の周期でもダメだったら卵管造影してみる?」という状況で、うつ病が悪化し、抗うつ剤を服用することになりクリニック通いは中止。
体調に波はあるものの、妊娠のことも考えて精神科の薬を減らしたり変えたりしてきました。
30代も半ばになって、「妊娠までにかかる時間、産む年齢、育てる年月を考えて、本当に子どもを望むならそろそろ本格的に取り組まないといけないな。」と思うようになりました。
だから、次に妊娠を考える時は初めから不妊外来に通院しようと思っていました。
ダンナは、私が通いたいなら通えば、というスタンスでした。
そして、「今、ダンナとポメ子の3人の生活に子どもがいたらまた風景が変わるのかな・・・?」と自然に思えた時、再び妊娠を考えるようになったのを機に不妊外来への通院を決めました。
クリニックと不妊外来
以前通っていたクリニックは、エコーで子宮の形や卵巣に異常がなければタイミング法からスタートして、タイミング法で妊娠しなければその都度検査を行いながら人工授精までできるクリニックでした。
当時、私がこのクリニックを選んだのは、初めから本格的な不妊専門のクリニックや外来に行く勇気がなかったので、人工授精までのクリニックならゆるっとできるかなと思ったから。
それに対して、私が今回選んだのは大学病院の不妊外来。
原則夫婦そろっての通院、全ての不妊検査を終えてから不妊治療を開始するというところ。
こっち(不妊外来)の方が効率的だと思います。
前のクリニックは、タイミング法を試しつつ時間の経過とともに検査をして・・・だったけど、それだと卵管に異常がある場合や無排卵、精子に異常がある場合には時間もお金も無駄にかかってしまう。
そもそも自然妊娠が難しい場合にも、タイミング法というほぼ自然妊娠から始めるのは・・・どう考えても無理がある。
それに対して、全ての検査を行ってから治療を開始する不妊外来は、極端な話、治療開始の時点で夫婦ともに異常がないのか、どちらかまたは双方に手術を必要とする異常があるのか、タイミング法から始めて妊娠が望めそうなのか、顕微授精から始めないと妊娠の可能性は低そうなのか、顕微授精でも妊娠は望めなそうなのか、妊娠自体望めないのか・・・はっきり分かる。
検査結果によって、それぞれにあったスタートと方向性が決まるから時間とお金を無駄に費やすこともないと思う。
「この方法あってるのかな?」と不透明な時間を過ごすことも、不透明な時間にお金を費やすこともない。
不妊外来の初診・・・まさかの拒絶反応
不妊外来の初診は1か月半待ちでした。
初診予約をした時は、明るい未来が見えたような気分でした。
「できることはしよう。手遅れになってから後悔するのは嫌だから今できることはやろう。」と思っていました。
でも、なんでだろう、不思議なもので、初診の1週間前くらいから体調が崩れ始めました。
息苦しい、緊張、焦燥感、膨満感、吐き気、頭痛、ごはんも食べられない・・・。
本当にこんなに体調が悪いのは久しぶりというくらい絶不調でした。
初診が近づくにつれてどんどん体調が悪くなりました。
まるで、見えない何かに押しつぶされるかのように。
「こんなに体調が悪くなるくらいならやめようか。こんなんじゃ妊娠なんて無理だよな。」と思いました。
でも、「ここで諦めたら全部終わる。初診に行ってみれば意外と平気かもしれないし、何か変わるかもしれない。とりあえず行ってみよう。」と思って耐えた1週間でした。
結論から言うと、初診に行っても何も変わりませんでした。
医師と話しても、看護師さんと話しても・・・。
医師には「もしかしたら何か(妊娠できない)原因が見つかるかもしれない。そんな風に思って不安や緊張を抱えて受診されるのはみなさん同じで、〇〇さんに限ったことではないですよ。」と言われ、看護師さんからは「あまり深く考えないで流れに乗っちゃったらいいんじゃない?」と言われて、ちょっと気持ちが楽になったような気もして、「私、大丈夫かも・・・。」とも思った。
不妊外来からの帰り道、「できたじゃん、大丈夫だったじゃん。」とも思った。(無事に不妊外来を受診できたという意味。)
でも、それは純粋にホッとしたとか、気持ちが楽になって次も頑張ろうという力が湧いてきたとかいうものとは違った。
何とかミッションクリアした、フー・・・という感じだった。
そして、一瞬気持ちが軽くなったのは本当に一瞬で、またすぐに体調は絶不調に戻ってしまった。
そして、私は気づいたというか、うっすら気づいていたけど認めざるをえませんでした。
この体調不良は、初診や不妊治療へのプレッシャーではなく、拒絶反応だということを。
初診が終わって、「スッキリ快調!これから頑張ろう!」と思えていたら続けられたと思う。
でも、私はそうはならなかった。
体調は絶不調だったし、気持ちもなんか違和感があって沈んでいた。
結局、そんな絶不調を初診が終わってからも1週間くらい引きずった。
不妊検査、不妊治療に直面して思ったこと
初診の医師の診察は、エコーで子宮と卵巣を見て、子宮頸がん検査をして、血液検査の予約、子宮頸がん検査・血液検査の結果説明の予約をして終わった。
この時点では、次回以降の予約もして、何とかやっていこうと思えていたと思う。
医師の診察が終わった後、看護師さんとの面接があった。
タイミング法、人工授精、体外受精・・・治療のスタートはどこから希望するか。
今後の検査の流れ。
治療の流れ。
私は、人工授精と体外受精を説明する絵を見た時「あー、私、こんなことしたくないわ。」と思ってしまった。
子宮、卵巣、カテーテル。
子宮、卵巣、卵巣から卵子を採る針・・・。
精子、卵子、皿(?)、精子を卵子に注入する針・・・。
「あー、私、こんなことしたくないわ。」、たぶん、これが私の素直な気持ち、本音なんだと思う。
初診を終えて、ちょっとしたスッキリ感は味わえたものの、時間が経つにつれて、なんとも言えない気持ちが蓄積していった。
初診当日は、ダンナに初診の内容とダンナさんも早めに受診するように言われたことを伝えた。
もしかしたら、1日経てば何とも言えない気持ちは変わるかもしれないと思って、「私、やめたいかもしれない。」とは言わなかった。
でも、1日経っても何も変わらなかった。
何も変わらなかったどころか、何とも言えない気持ちはどんどん蓄積して濃くなっていた。
朝、「私、やっぱりやめようかな。」とダンナに伝えた。
ダンナは「辛いならやめたら?」と言って、夜に話すことにした。
夫婦の気持ちの確認
私は、ダンナに思ったこと、感じたことを素直に伝えた。
今の3人(2人+1頭)の生活に子どもがいたらまた違うのかなと思ったこと。
(不妊治療に改めて直面して)「あー、私、こんなことしたくないわ。」と思ってしまったこと。
妊娠は体調を悪化させてまで望むものではないと思うこと。
そもそも体調を崩していたら妊娠なんてできないと思うこと。
そもそも検査にしても治療にしても、痛い思いをしたり、苦痛を感じたり、薬の副作用が出たり、自己注射したり・・・そんなことしたくないということ。
不妊検査も不妊治療も自然に逆らった、ものすごく人工的なものに思えて嫌だったこと。
そもそも検査をして原因を追究することには何の意味もないんじゃないかということ。
妊娠する、しないはあくまでも自然なものなんじゃないかということ。
子どもはできたらできた、できなかったらできなかった、それは自然な結論でいいんじゃないかということ。
妊娠は自然にさからってまでしなくてもいいんじゃないかということ。
自分の親に孫を見せてあげることができない、ダンナをお父さんにしてあげることができないのは心残りであること。
もしかしたら、今はそう思っていても何年かたったら「どうしても子どもがほしい」とか「あの時続けていればよかった」と思うかもしれないこと。
手遅れになってから後悔してしてしまうかもしれないこと。
うっすら気づいていたけど、私とダンナの気持ちは同じでした。
同じだったというか、ダンナは初めからそんな気持ちで、私は巡り巡ってたどり着いた結論がダンナと同じだったのかな。
妊娠は自然に任せる。できたらできた、できなかったらできなかったでそれは結果論。
「どうしても子どもがほしい」と思ったら、その時はまた考える。
「あの時続けていればよかった」とか、手遅れになってから後悔しても、それはまたそれ。
子どもがいてもいなくても、2人の生活でもいい。
体調を崩してまですることではない。
『子どもはいて普通』そんな空気が辛い
結婚したら子どもがいて普通、結婚したら子どもを望むもの・・・そんな空気が辛いです。
政治家が「3人は子どもを産んで」と言ってみたり、一般人でも「子どもを産まない女性は愚か」というような発言をしてみたり・・・一方向からしか物事を見ない人にそんな発言をされると辛い。
全ての人が子どもを望んで、全ての人が望んだタイミングで自然に妊娠できて産み育てられるわけじゃない。
たぶん、それができていたら不妊で悩む人いないよ。
不妊で悩んでいる人がたくさん声をあげているのに、そこに目もくれずに『子どもがいない=悪いこと』のように非難するのはやめてほしい。
夫婦2人だからって、生活するのにお金がかからないわけじゃない。
税金だって社会保険料だって払えと言われた分は払ってるよ。
色々背景あるんだよ。
子どもがいたって、育児放棄する人、虐待する人、子どもを殺してしまう人だっている・・・どうしてそんな子どもが存在してしまうんだろう。
産んでみたら、育ててみたら思っていたよりはるかに大変だったってこともあると思う。
でも、虐待されたり殺されてしまう子どもたちが、子どもを望んでいる家庭に生まれていたら違ったんだろうな・・・と思う。
子どもが欲しくてもできなかった人だっているんだよ。
やっと子どもができた人だっている。
子どもがいる人にとっては子どもがいることが当たり前なのかもしれないけど、そうじゃない人たちもいる。
誰かの当たり前は、他の人にとっては当たり前じゃないのに。
不妊治療も保険適用とかタダにしてほしいと思ったけど
不妊治療はステップアップすればするほど、期間が長くなるほどにお金がかかる。
自費だから。
不妊外来に行く前は「不妊治療も保険適用にしてくれればいいのに!少子化で困っているなら、育児だけじゃなくそもそも子どもを産める人が増えるように不妊治療もタダになればいいのに!」と思っていた。
国が本当に少子化で困り果てているとなったら、不妊治療のサポートが手厚くなることもないとは言えないような気がしなくもないような気もする。(限りなくないに等しいと思っている。)
でも、不妊治療は健康を左右したり命にかかわる病気と違う。
その時点で、そもそも不妊に『治療』とつけるのもどうなのかと思うけど。
医療とか治療の分野にいるけど、やっぱり病気の治療とはジャンルが違う気がする。
その割には、不妊のゴールが妊娠だとすれば、病気の治療とは違って結果が出る見通しが見えにくかったり、結果そのものが出るとも限らない。
時間とお金と労力を費やしても得られるとは限らない結果、不妊治療をしている人の中には「不妊治療はギャンブルだ!」という人もいたけれど、本当にその通りだと思う。
たぶん、今後も不妊治療は自費なんだろうな。
たぶん、そこに保険とか税金を使ったら、逆に負担が大きくなりすぎて保険料とか税金とかあがってしまうんじゃないかと今は冷静に思う。
「不妊治療はしない。不妊検査もしない。」と決めて見えたもの
「不妊治療はしない。不妊検査もしない。」と決めた。
決めたといっても、もしかしたら今後気持ちは変わるかもしれないから「今のところ」。
でも、不妊治療に向き合おうとしただけで体調を崩す時点で、私は不妊治療とは向き合えないと思った。
そこで体調崩してるようじゃ妊娠も難しいと思うし。
不妊治療を続けてうつになる人もいるというけれど、うつの人間が不妊治療に臨むのもまた予想以上にハードルが高いと思った。
うつってとことん損だな、と思うけれど私がここまでなったのは会社が原因で。
会社と言ってもある人が原因で。
その人にも、嫌がらせやいじめやパワハラもどきに走ってしまうどうしようもない理由はあったんだろうけど、でも、壊すのは自分の人生だけにしてほしい。
自己嫌悪に陥っても、羨んでも、妬んでも、何があっても、他人の人生を壊さないでほしい。
そして、私の中には思っていた以上に『自然』を望む気持ちが強くて、人工的な妊娠は望んでいないということ・・・。
もともと私は子どもが好きではありません。
友だちの子どもは平気です。
自分の子どもはかわいい自信がありました。
そんな私でも結婚したら子どもを考えたけど、子どもが欲しかったから結婚したわけじゃない。
「この人となら生きていける」そう思ったから結婚した。
結婚した理由に子どもなんてなかった。
たぶん、当たり前のように子どもがいる人が「羨ましかった」というより、子どもがいない自分が「劣っているような気がしていた」んだと思う。
「子どもがいないと幸せじゃない」そんな風に思われていそうで嫌だった。
でも、そう思っていたのは私自身なのかもしれない。
実際、子どもがいなくても、かわいい、愛でる、愛おしい、愛する、大変手間のかかるポメ子がいて、くだらないことで一緒に笑っていられるダンナがいる。
子どもがいる生活とは違うかもしれないけど、ここには確かに私たちしか感じられない幸せがある。
そして、こんなポンコツダメ人間をヨメにしてくれたダンナには改めて感謝しかない。
今回、不妊外来に行って不妊治療というものと向き合って、私には耐えられないし、したくないと気づいたことで、「たぶん私は妊娠することもないし、子どもをもつこともないんだろうな。」と思うと同時に夫婦2人で生きていくということに現実味が増した。
そうしたら、今までは過敏だった芸能人とか友だちとか知人の妊娠、子育ての話にもあまり興味がなくなった。
私の中で妊娠が完全に0になったわけじゃないから、興味も0というわけではないけど・・・ちょっとは気になります。
そして、「後々後悔したくないから今できることをやろう」と思って不妊治療に向き合ってみたけれど、時間とお金と労力をつぎこんでも結果が出るか分からない不確実な未来のために今を使うということは、私にはできないと思った。
私は、そんな不確実な未来のために今を費やすより、穏やかにポメ子の散歩に出かけられるような今という日を過ごしたいと思った。
起こりもしないことを予想して悩んだり、未来を想像して不安になったりする私も、意外と現在思考なんだと知った。
そして、「足りない、足りない、もっと!」と何かをどんどんプラスしたいと思っていた今の生活が、意外と満たされていることに気づいた。
サプリをとったほうがいいとか、アイスとか冷たい飲み物とかカフェインは控えた方がいいとか・・・あれは良くない、これは良いとかそんなのにも縛られる必要もなくなった。
「たぶん私たちは夫婦2人の人生を送るんだろうな。」と思って、ポメ子を見送って、どちらかがどちらかを見送って、どちらか残された方は1人の老後を過ごすことになるんだろうな、というちょっとした覚悟みたいなのもちょっとだけできた気がする。
もう全く揺れ動かないといったらうそになる。
でも、体調絶不調の時期を過ごし、色々考えてたくさん泣いた。
今は少しゆっくり過ごしたいと思う。